教師の真の品格とは!・・・人はよく 授業が下手な ただのアホ

少人数学級が学力や躾にとって絶対必要だということを、教員組合、学者、学校関係者も金科玉条のごとく、皆大合唱している。集団教育の大切さがわかっていない。集団教育が成り立たないのは、教師の無能力が原因だと言っても過言ではない。昔の教育はすべて集団教育であった。それをすべて否定するのか。

教育研究全国集会の中でのある教師の報告を絶賛した記事を見た。以下のごとくである。
38歳の小学5年生の女性の担任のクラスが「嵐の学級」と言われるほど学級運営がうまくいかなかった。 子供が授業中うろうろ歩き回り、大声でわめき、ボールを黒板にぶつけるなど手がつけられないクラスである。そのことを保護者会で報告すると、親達は担任を責めるどころか、「先生よく言ってくれた。私達で出来ることがあれば協力させてください」の声が上り、中には生徒達を静かにさせるために、授業に入った夫婦もいたとの記事だった。教育研究全国集会が、この報告を評価している内容だった。とんでもない本末転倒で、教育放棄である。国民の税金で給料をもらっている教師は本来教えることにかけてはプロであり、管理能力は言うまでもなくあってしかるべきだ。授業が成立しないのは教師失格であり、即刻首である。これを評価した教育研究団体も押して知るべし。なさけない。言っておくが、親に協力してもらうすべてを否定しているわけではない。時として一緒にやらなければならないことも多々あることはもちろん承知している。しかし、授業とクラス運営は、教師の生命線で一歩も引いてはならないし、他人が入ってはいけない聖域である。プロとしての真価が問われている。ボランティアじゃない。だめだったら親に頼もうなんて安易な姿勢なら教師をやめっちまえ。

国家の品格の著者である藤原雅彦氏は次のように警告している。「論理が通ることは脳に心地よいから、人は理解出来る論理にすぐに飛びついてしまう」。競争の中でしんどさや、悔しさ、劣等感を経験しないで大人になった前述の38歳の教師はまさしく大人になった子供( grown-up children)である。理論に飛びついて、実践をしないで直ぐに人に頼る。「いじめが多いからカウンセラーを置きましょう」という単純な理論に比べ、「いじめが多いから卑怯を教えましょう」というのがまず先だ。大勢で1人をやっつけるのは文句なしに卑怯であることを叩き込まなくてはいけないのである。大切なこと、絶対守らなければならないこと、弱いものいじめをしないこと等を生徒に、親に迎合するのではなく、徹底的に押し付けなければならない。学力をつけるには、最低の基礎知識を有無を言わせずに詰め込むことである。詰め込み教育反対反対と言ってるエセ教育者は生徒の実態をつかんでいない。要するに内容を無視して、心地よい論理:詰め込み教育反対という言葉に酔っているのである。詰め込んでいない実態を理解していたら、もっと詰め込んで当然である。

先人から教師の品格を学ぼう!(丸山敏秋氏の書から)
「至誠にして動かざる者なし」と、松下村塾を主宰した吉田松陰は言う。真心で接すれば、人は動き、変身するという意味である。松蔭の教育の原点であり、品格である。初めて門を叩いた門人が松蔭に「どうかよろしく御教授をお願いいたします」、すると松蔭は「いや、教授など出来ることではありません。君と一緒に購読しましょう」、またある時は、感動する物語になると、声を震わせ、満願に涙をたたえ、ひどい時には涙がポタポタと教科書の上に滴り落ちたという。またある時は、社会悪に対して、髪が逆立つほど怒り、大声を出して熱弁をふるったとも言われている。共に涙し、共に怒り、共に心が通い合ったという。 映画監督の故新藤兼人氏(享年100歳)が、小学校の恩師をモデルにした「先生」という映画を撮った。新藤氏曰く、その先生から学んだことは「嘘を言うな、真っ直ぐ生きよ」という言葉が氏の人生の大きな支えとなったという。国内はもちろん、外国でも様々な賞を獲得した大監督であった新藤氏はその教師の存在を人生の糧にしたのであった。一生を小学校の先生で終わった平凡な先生で、いつも生徒には「心から怒り、心から謝る」そんな先生だったそうです。それを宝にした映画を撮りたかったと。 いじめがあっても隠し、嘘をつく今の教師どもに爪のあかを煎じて飲めといいたい。

教師の品格とは!教える品格とは!偉大な人格?を持った人でもなければ、高学歴を持った人でもない。生徒の目線にたって、悩み、苦しみ、涙し、悔しさ、喜びを経験してこそ生徒に近づいて、生徒の発するSOSを見抜けるのだ。私は、「生徒と教師の関係は作家と作品の関係」だと思っている。偽の作家にはいい作品が出来ないのである。苦しんで、戦って、ギブアップしない作家には、必ず作品が答えてくれる。悲しみやしんどさを消してくれる教師は、喜びや励ましを与えてくれる教師ではない。悲しみ、しんどさ、怒りを共有できる教師だ。