教師の品格とは!・・・先生と 呼ばれていい気の 間抜け顔

大坂府知事時代の橋本さんの発言に「あのくそ教育委員会」が物議をかもしだしたことがあった。朝日新聞ではかなりの紙面を割いて、しりぞく教育委員会の反論を載せていた。朝日新聞がこの教育委員達の発言を擁護している載せ方だ。問題の本質を追求しないで表に出た橋本さんの発言を載せて読者の反論を期待しているかのようだった。「市町村別の平均正答率を公表せよ」と言った橋本さんの主張は当然である。「過度な競争が生まれるから」という理由で公表しないのは責任逃れであり、説得力がない。もともと勉強・スポーツ・芸術は競争がつきものである。社会に出れば競争だらけである。なぜ現実を回避するのか。競争させたらいいではないか。そこから子供が成長する最も大事な一つである挫折を経験するのである。今の児童・生徒にないのは挫折を経験しないで大人になり、しんどさや、忍耐力のなさでギブアップするのが落ちだ。人間社会には競争が必ずついてまわる。なんでも平等は不平等を生む。その競争を善とするか、悪とするかはまさしく教師の指導力にかかっている。それを統括する教育委員会が腰抜けでは、教師は育たないのは明らかだ。

私はすべての児童・生徒は学力が上ると確信している教師の1人である。問題は、教え方の工夫と教材であると思う。教師は教え方ではプロにならなくてはならない。そしてその研究を怠っては駄目である。生徒一人一人にあった教材は自主編成でなければならない。そういう意味では予備校の講師に学んだ方がよい。彼らは教え方に生活をかけている。いわば、教え方・教材は飯の種である。教師は教え方のプロであり、生徒の前では正義の味方でなければならない。「時として、教師は親であり、兄であり、友達である」なんて話を現場から聞くが、とんでもない。子供をひっぱって行く自信のない奴(教師)の都合のよい逃げの姿勢そのものである。

前述の教育委員の1人が、橋本さんを批判して「ご苦労様、頼むよ、共に頑張ろうと言うのが真のリーダーの姿だ」と言ったのには驚いた。仲良しグループじゃねだろうが。府民が高い税金を払っている認識がない。素人の教育委員を指名した大阪府にも責任がある。責任を転嫁し、主体性のない能無し教育委員」と言いたい。

「なんで勉強するの?」と生徒に問われてどう答えますか、先生達よ!いい大学に言って、大会社に就職して、結婚して、マイホームを持って、高級外車を持つことだとでもいうのかね。 勉強はなりたい自分の可能性を広げるプロセスであり、教師はその援助者である。と私は結論付けている。公教育である学校が教師がやらねばならないことは、「学力を上げること、躾をキチントつけること、ルールを守らせること、人としてどうあるべきかを教えること。」に尽きる。これは初等・中等教育の最大の責務である。