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瀧山の「なっとらん受験産業」
…まともな受験教育への提言

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連載コラム 瀧山の「なっとらん受験産業」…まともな受験教育への提言

第19回

教師の品格・教えることの品格とは!
 “これぞ品格のない時代錯誤”
大阪の知橋下知事の発言に「あのくそ教育委員会」発言は物議をかもしている。9月14日朝日新聞の29面にかなりな紙面を割いて、今回で退く教育委員の反論を載せている。どうみても朝日新聞がこの委員達を擁護している載せ方だ。問題の本質を追求しないで表に出た橋下知事の発言を載せて、読者の反論を期待しているかのようだ。

「市町村別の平均正答率を公表せよ」といった知事の主張は当然である。過度な競争が生まれるからという理由で公表しないのは責任逃れであり、説得力がない。もともと勉強に限らず、スポーツ・芸術には競走がつくものである。なぜそれを回避するのか。競走させたらいい。そこから子供が成長する最も大事な挫折を経験するのである。

今の児童・生徒にないのは挫折を経験しないで大人になり、しんどさに耐えられないで大人になってギブアップするのがおちだ。どこかの総理大臣にそっくりである。教育委員会は学力向上になんの手も打ってなかったことの証である。

私は全ての児童・生徒は学力が上がると確信している教師の一人である。「英・数・国・社・理が好きなら一生懸命にやればいいし、スポーツや絵、音楽がすきならそっちをやればいい」といった言葉はまことにその通りで、何をぐちゃぐちゃいっとんのかと私も言いたい。どの分野にしても競争がつき物である。教育委員の一人が「ご苦労様、頼むよ、共にがんばろうと言うのが真のリーダーの姿だ」と言ったのには驚いた。仲良しグループじゃねえだろうが。府民が高い税金を払っている事実を認識しているのか。素人の教育委員を指名した大阪府にも責任がある。結果を出してこそ責任を果たすのと違うのか。「責任を転嫁し、主体性のない能無し教育委員」といいたい。

勉強はなりたい自分の可能性を広げるプロセスであり、教師はその援助者である。学校も塾も銭を取ってる以上やらなければならないことが2つある。必ず学力を上げること。躾をキチントつけることである。初等中等教育の最大の責務である。人間教育はこの2つの過程でこそ成就するのである。

少人数学級が学力や躾にとって絶対必要だということを、教員組合、学者、学校関係者も金科玉条のごとく、皆大合唱している。集団教育の大切さが判っていない。集団教育が成り立たないのは、教師の無能力が原因である。昔の教育はすべて集団教育であった。それをすべて否定するのか。教師の品格がまったく消滅したといっても過言ではない。

また、2008年、教育研究全国集会の中でのある教師の報告を絶賛した記事を見た。以下のごとくである。38歳の小学5年生の女性の担任が「嵐の学級」といわれるほど学級運営がうまくいかない。子供がうろうろ歩き回り、大声でわめき、ボールを黒板にぶつけるなど手がつけられないクラスである。そのことを保護者会で報告すると、親達は担任を責めるどころか「先生よくいってくれた、私達で出来ることあれば協力させてください」と受け止めてくれた。都合がつく限り夫婦で授業に入ってくれた。といった記事で、教育研究全国集会がこの報告を評価している内容でした。とんでもない教育放棄であるといいたい。国民の税金で給料をもらっているのである。親が授業に入らないと、授業が成立しないのは教師失格である。即刻首である。もちろん親に協力してもらう全てを否定しているわけではない。まず学級運営は教師自ら苦しみ、戦い、努力してこそ教えることの品格が出来るのである。

国家の品格の著者である藤原雅彦氏は次のように警告している。「論理が通ることは脳に心地よいから、人はこのように理解出来る論理にすぐに飛びついてしまう」。「いじめが多いからカウンセラーを置きましょう」という単純な論理に比べ、「いじめが多いから卑怯を教えましょう」というのが先ず先だ。大勢で一人をやっつけるのは文句なしに卑怯であるということを叩き込まないといけないのである。大切なことを生徒に、親に、迎合するのでなく、押し付けよ。学力をつけるのには、最低の基礎を有無を言わせずに詰め込むことである。論理思考で教育を考えるのは、大人の、教師の、教育の行政に関わっているエセ権威者である。生徒は論理思考で動くわけではない。

先人から教師の品格を学ぼう!
(丸山敏秋氏の書から)「至誠にして動かざる者なし」と松下村塾を主宰した吉田松陰は言う。真心で接すれば、人は動き、変身するという意味である。松蔭の教育の原点であり、品格である。はじめて門を叩いた門人が松蔭に「どうかよろしく教授をお願いいたします」、すると松蔭は「いや、教授など出来ることではありません。君と一緒に購読しましょう」、またある時は、感動する物語になると、声を震わせ、満願に涙をたたえ、ひどい時には涙がポタポタと教科書の上に滴り落ちたという。またある時は、社会悪に対して、髪が逆立つほど怒り、大声を出して熱弁をふるったとも言われている。共に涙し、共に怒り、共に心が通い合ったという。

最近、NHKで、映画監督の新藤兼人氏(96歳)が、小学校の恩師をモデルにした「先生」という映画を撮ったという番組を見た。新藤氏曰く、その先生から学んだことは「嘘をいうな、真っ直ぐに生きよ」という言葉が大きな支えとなったと。国内はもちろん、外国でも様々な賞を獲得した大監督である新藤氏はその教師の存在を人生の糧にしたということである。一生を小学校の先生で終わった平凡な先生で、いつも生徒には「心から怒り、心から謝る」そんな先生だったそうです。それを宝にした映画を撮りたかったと。

教師の品格とは、教える品格とは!
品格とは偉大な人格を持っている人でもなければ、高学歴を持った人でもない。教師はマイナー思考であれといいたい。プラス思考なんてくそくらえである。マイナー思考をするからプラス思考になるのである。プラス思考しかもってない奴はだだのアホであり、2代目のアホ社長である。最初から自信を持って教壇に立つわけではない。劣等感、悩み、苦しみ、涙をし、悔しさを経験するからこそ生徒に近づけるのである。
教師は博学であり、尊敬される人間であるためには、先ずマイナー思考からはじめることだ。まだ遅くはない。私は、「生徒と教師の関係は作家と作品の関係」であると思っている。偽の作家にいい作品はできないのである。作家は苦しんで、戦って、ギブアップしないそんな中でいい作品が出来るのである。