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瀧山の「なっとらん受験産業」
…まともな受験教育への提言

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連載コラム 瀧山の「なっとらん受験産業」…まともな受験教育への提言


「授業における差別化とは」シリーズ

「連載5」から授業における「差別化とは」をテーマにかなり細かい、地味なシリーズを提案してきた。今回はその最終章である。もう一度項目だけを復習しておこう。

  1. 言葉の間・話の間 2.ムダ語・言葉グセ 3.センテンスの簡潔性 4.センテンスの完結性 5.アイコンタクトの問題 6.感情移入の問題 7.ボキャブラリーの貧困さ

イントロの問題

授業の始まりがいかに大事であるかは認識がないのが現状である。ぼさっと立って、なにも指示しないで勝手に授業を始める馬鹿教師がいる。無為無策の教師がいる。教師は聖職であり、教えることに関してはプロであるべきである。医者だって、弁護士だって、建築家だって、料理人だってそうだ。しかし教師だけはなんのチェックもない。教壇の前で遊んでいると言われてもしかたがない。

イントロの機能は次の通りである。

  1. 今日のテーマをはっきり示し、何を勉強させるかを認識させる。
  2. テーマの重要性と知らないと学力低下になることを認識させる。
  3. 聞き手の注意と関心を引きつける。
  4. 話のトーンを決める。
  5. については、大きな字で板書をし、具体的にテーマを絞る。下手な教師はなんでも重要だといってだらだら授業をする。そのうち何が重要かわからなくなる。ほかの事は忘れてもいい、今日のこのテーマだけは覚えろぐらいがいい。
  6. については、すこしおどかしていい。実力がつかない、希望する学校に入れない、ここで差がつくぐらいいってもよい。競争さすことだ。昨今、学力に格差がつくとだめみたいな論調が教育界にある。とんでもないことだ。学力や知識に差があって当たり前。勉強しないやつは学力がつかない。勉強するやつは学力がつく。当たり前ではないか。ハッキリさす事だ。私は、人間に差をつけろとは言っていない。平等の不平等があっちこっちで見られる。
  7. については、個々の教師の工夫がいる。ただ聴くだけではだめ。教師の人間性も必要だろうし、わかりやすい他の例から入るのも一つ、要するに、生徒の目線に教師も立つことが出来るかどうかである。TV番組でアメリカの精神科医が自閉症の人間恐怖症の子供に近づくのにピエロの格好をして、子供に気に入られるようにと思って、病室に入るドキュメンタリーを見た。この医者は世界的名医の精神科医である。まさしく子供の目線にたったのである。俺は偉いんだといって、生徒を脅かす馬鹿教師は去れ。
  8. については、生徒のその日の状況を見て、また学力的に見て低い、高いによって、やさしく、あるいは厳しく、大きな声で、ゆっくりと、黒板の前で舞ってもよいではないか。私の場合は学力の高いクラスでは、淡々と、内容で勝負する。低いクラスでは説得型でひつこいくらいにゆっくりとくりかえす。
    イントロの成功、不成功はその日の授業の大きなキーポイントとなる。

強調法の問題

授業の中での強調は生徒を授業にひきつけるためにも、知識の定着にも必要だ。強調といえば、「大きな声を出す、強く言う、ちゃんと聞け、ここが大事」と思っているがそうではない。大きな声を出し続けていると眠くなる、小さな声を出し続けると眠くなる。要するに、声の一定が聞く側の生徒の脳を刺激しないのである。私が使っている手法は:1.反復話法 2.ゆっくり話法 3.強調話法 4.弱調話法 5.間をあける 6.たたみかける話法 7.音の利用・・・チョウクを黒板にたたきつける 8.ボディーアクション。これらの手法を繰り返し使うことだ。練習すると頭で考えるのでなく自然と身につく。プロ講師はこれらのことが自然に身についているのである。生徒側から言うと「あの先生の授業は時間が短く感じる」と言わせるのである。とくに小学生、中学生は学校や塾を休むとき親に「今日しんどい、体がだるい、なんとなく行きたくない、面白くない」と言わせるのは、簡単に言うと「授業が面白くないのである」。「授業が面白い、楽しい、わかりやすい」は塾であろうと、学校であろうと教師の生命線である。

バーバルとノンバーバルのスキルの低さ

バーバル要素[聴覚にはいるもの]・ノンバーバル要素[視覚に入るもの]
生徒はこの2つの要素で聞いているのである。「聴く」という漢字は、耳+目と心から成り立っている。三位一体である。皆さんは先ず耳と目に訴えることだ。心で聴かせるのはプロの職人の領域である。失礼ながらまだ早い。というのは全国を講演して心で聴かせる教師に塾でも、学校でも会ったことがない。実は生徒はわれわれ教師が考えている以上に教師をよく見ている。服装、ネクタイ、頭髪、めがね、におい等を。重要なノンバーバルは、「表情、アイコンタクト、身振り、手振り、黒板の前での動き」である。表情は授業の最初は笑みがいい(自分の勝手な事情で機嫌が悪い教師が多く見られる)、授業の内容によっては、また生徒を叱る場合は厳しい表情もいい。一番避けねばならないのは、軽蔑の表情、無視の表情、やる気のない表情、疲れている表情である。アイコンタクトは連載6で記載。身振り、手振りは重要な内容を説明するとき、じっとして教壇の椅子に座ったままでは説得力に欠ける。生徒に近づいて、ときには順番に机の間を廻ることも。黒板に書いている問題を指で指して生徒の目線を黒板に集中させ、強調するときは拳を上げることも、時には生徒が正しい答えを言ったときは拍手したっていいではないか。特に黒板の前での教師の動きが悪い。私は教師塾を主催している。生徒は先生である。毎年京都で研修会を行っているが、一番注意することの一つにこの黒板の前での動きについてである。ほとんどの教師は板書をするとき尻を生徒のほうに向けて、しかも黙って書いている。生徒のほうに顔を向けて、半身のスタイルで書くべきだ。書きながらしゃべる訓練をすべき。バーバルとノンバーバルを同時にすることだ。つまりしゃべっているときにいかにうまくノンバーバル要素をのせるかである。人の前に立つ職業は必ずバーバル要素とノンバーバル要素が必要である。

人間の情報吸収能力      

  1. 視覚 60% 
  2. 聴覚 20%
  3. 触覚 15%
  4. 嗅覚  3%
  5. 味覚  2%

 

人間の記憶保持率               記憶保持率

                      3時間後     3日後

  視覚だけで吸収した情報      72%     20%
  聴覚だけで吸収した情報      70%     10%

  視覚・聴覚両方で吸収した情報  85%     60%

このデーターで分かるとおり、いかに視覚に訴えることが重要かを示している。

 『お前らすぐに忘れるな、この前にやったやないか、もっと暗記して来い』と叱り飛ばしている教師がいる。ばかである。授業が下手だから、何も工夫していないから生徒の記憶保持率が低くなるのである。すべてにおいて、スキルがないのである。

 生徒のせいにするこんな教師どもに限って、一教室の生徒数を減らせとか、持ち時間を減らせとか、残業手当を出せという。仮に、そうしても、やっぱり下手な授業をする。教育的情熱、努力がない。公教育においては教員免許更新制にするのが当たり前、文部科学省の08年以降の導入は遅きに失する。


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