TOP >> 連載コラム 第5回

連載コラム
瀧山の「なっとらん受験産業」
…まともな受験教育への提言

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
第13回
第14回
第15回
第16回
第17回
第18回
第19回
第20回
第21回
第22回


連載コラム 瀧山の「なっとらん受験産業」…まともな受験教育への提言


授業における差別化とは

前号で情熱・努力・感性についての重要性を書きましたが、だから即トップ講師になれるわけではない。滝山が言う情熱・努力・感性は出発点である。端的に言うと情熱・努力・感性のない奴は教壇に立つな、去れと言いたい。塾の講師も、学校の教師もサービス産業で働いているという自覚が必要だ。

最近ある塾講師に会いました。男性、年齢34歳、独身、塾歴10年、真面目、高学歴。彼が私のところに相談に来たのは、授業についての相談です。内容は:1.生徒がついてこない 2.支持率が下がってきた 3.授業が空回り 4.教室の生徒が減ってきた 5.塾長からしかられ、給料が減った。以上が主な相談事である。彼はまさしく、情熱があり、努力をし、すこしだが感性がある。なぜか? 情熱丸出し、夜遅くまで予習し努力しているのに。「仏作って魂入れず」である。「生徒は大事である」という総論はいいのだが、問題は各論である。彼は私の教材である。彼の悪いところから学んだことをシリーズで列挙して各論に迫ろう。

ヘタな授業・・・元気がない・覇気がない・聞き取りにくい・単調すぎる・変化がない・メリハリがない・説得力がない・わかりにくい

聞き取りにくい、覇気がない、メリハリがない、説得力がない、単調すぎる、おもろないは

その結果は生徒側に 1.集中力の阻害 2.意欲の阻害 3.思考の阻害 4.理解の阻害 5.記憶の阻害がおこる。

声・・・基本的な発声で大事なことは、声が前に出ているかどうかである。生まれつきの声質はしかたがないが、それを話すスピード、声の大小、声の強弱でカバーすべきである。生徒が授業中によく眠るのは、大いに教師側の声にある。大きな声を出していると眠らないのかと言うとそうではない。声の大小ではなく、声の一定で眠るのである。メリハリのある授業の一つには声の大小・強弱・高低・スピードをうまく取り混ぜる訓練をすべきである。授業を参観した父兄の感想の中で、授業が短かったというのがある。これは上記の声の使い方がうまい教師なのである。FM放送のアナウンサーが受けるのはこのことを言っているのである。塾にも、学校にもボイストレイニングを取り入れるべきだ。特に、学校では一人の教師にまかせきりで、何のチェックもなしだ。だから、M教師が続出しているのが現状である。教師をもっと科学的に訓練さすことだ。

言葉づかい・・・幼稚、乱雑、粗雑。言葉の誤りは思想の誤りである。時として、生徒に近づくテクニックとして乱雑に話すことも必要であるが、基本はきちんとすべきである。ヘタな授業をしている教師には必ず、言葉癖、ムダ語が多い。これが聞き取りにくい、眠たいの要因になり、聞き手に嫌悪感を与える。重要なポイントを教える最中にクセ、ムダ語が出てくると生徒の集中力ががくっと落ちるのである。典型的なムダ語、言葉グセに次のようなものがある:「あの~」「え~と」「まあ」「その~」「ねね」このクセが長ければ長いほどまた繰り返すと上記の五つの阻害が起こるのである。

「ぼかし言葉」「逃げ腰言葉」「弱腰言葉」もできるだけさけるべきだ。

「多分」「できるだけ」「とりあえず」「かもしれない」「だと思います」このような言葉が出るのは自信のない証拠である。要するに自分の教科に関して、徹底した予習をしていない、データー、分析がないからである。ひどい教師は解答だけを教科書に写しているだけ。実際私の長い教師生活で何回も目撃している。こんな教師に講師に、教育を語る資格はないのである。

 

言葉の間・話の間・・・「間」は話すことを商売にしている人にとっては一番大事である。しゃべりっぱなしは相手を無視して、自分よがりの不快感を与えるだけである。自画自賛で申し訳ないが、私は「間」の名人であるとよく言われる。私がよく使う例を挙げておこう。授業では教室に入ってすぐに授業をするのでなく、ほんの少し「間」をおく、その間に生徒がこちらを向くのを待つのである。授業中にここ一番の重要な問題を解いているときに、少し「間」をおくことで生徒の視線を私に向けさせる。「あれ、何で黙ってるのだろう」と不思議に生徒は思うその時に「もう一度繰り返すぞ、むちゃくちゃだいじだからな」「間」はまた生徒に考えさせるためにも必要である。但し、「間」を下手に使うとそれこそ生徒は白けてしまうしダメ教師のサボりの場になる。「間」はすばらしい授業・目からうろこが取れるような授業の最中に使うべきだ。また教師、大人を相手にした講演の場合は最初の冒頭に10秒くらいの「間」を取る。一番ヘタな講演者のイントロの言葉は「ただいまご紹介いただきました~です」私は最初から本題に入ることにしている。又は、「昨日、電車に乗っていると、ある人に会った。その人が、私に……」といった具合に授業とは関係のないことを言って、こちらを向かせて、なにを言うんだろうという興味を持たせるのも一つの手だ。又、間」は時間を置くだけじゃなくて立て板に水のごとくにしゃべることも必要である。かつて私の友人であり、ライバルである古典の荻野先生はよく「間」を学ぶために私の授業をのぞいていたものです。先生は「間」を学ぶために、露天商のお兄さんの叩き売りの口上を学んだり、落語を聞きに行ったりしたそうです。私は、特に、落語の桂枝雀の落語を聞きに言ったものです。トップと言われる講師は絶えず学ぶことを忘れないのです。どんなことでもやって見ることだ。自分の声を録音して欠点を見つけるとか、トップと言われる講師の授業を見ることだ。ヘタなダメ講師ほど勉強しない、努力をしないものだ。先ず、物まねから始めよ。

センテンスの簡潔性

下手な講師のしゃべり方の典型的なものは、だらだら長く、要点を絞らないで、しゃべっている言葉に終わりがない。聞き手の頭の中で、句読点が打てないようなトークはいけない。生徒の頭の中に、ノートに生徒自らまとめやすくしてやるためには、ワンセンテンスの簡潔性が大事だ。生徒が「なにを言ってるのか分からない」「眠たくなる」の現象はセンテンスの簡潔性がないのが原因である。百歩譲って講師の言ってる内容が重要で、的を得てたとしても、分かろう分かろうとする生徒の思考を邪魔しているのである。もったいない。少し改めるだけでまったく生徒の反応が変わる。これは授業の営業である。家に帰って、親が「塾の先生はどう、よく分かる」と聞かれて、子供が「よくわかるよ」と言わせるのが大きな営業である。講師は意図的に変える授業ををしなければならない。説得力のある授業は、歯切れのいい簡潔なセンテンスを丹念に、丁寧に積み重ねることだ

次のコラム >>