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瀧山の「なっとらん受験産業」
…まともな受験教育への提言

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連載コラム 瀧山の「なっとらん受験産業」…まともな受験教育への提言


■努力に手を抜くな
  情熱を具現化したものが努力である。凡人は情熱だけで終わるのである。教師は凡人では駄目。非凡になれ。人間が君たちの前にいるのである。金は大事、でも金だけで塾を経営するオーナーは去れ。努力をしない奴は教師という職業に就くな。

1.自分の専門教科に精通しろ…ただ単に答え合わせをするな。自分流の教授法の確立。いわゆる教科の商品化である。
(例)①瀧山の長文恐怖症を吹き飛ばす速読速解法
    ②瀧山の点になる究極の語い
    ③瀧山のこれで決定的に差がつく4分の3は取れる
     英作文のテクニック
    ④瀧山のあと20点取れる秘伝合格ストーリー
  タイトルも大事である。生徒にわかりやすい普通の日本語で表すことだ。ありきたりの英文法、英文解釈、英作文はインパクトがない。他の教科も工夫すればいいものがある。
  (例) 簡単に解けちゃう数学
  生徒の目線でタイトルを考えること。

2.授業をストーリーに組み立てよ。
  まずイントロ (導入) は、今日は何を教えるのか、徹底してプレゼンすること。
  大事なことを最小に絞れ。最悪の教師は、全部大事だと言って、最後までべたべた、だらだら。眠くなる。生徒に「今日は何を勉強したの」「英語、数学、国語を勉強したの」と言わせたら、その授業は失敗である。各教科の具体的な項目を言わせることだ。もっと思い切って、これを覚えれば、後は忘れていいぞというぐらいのことを言え。プロの教師とアマチュア教師の決定的な違いは、教える内容を切って捨てられるかどうかである。もちろん切るには、プロとして、切っても大丈夫という確信と、過去のデータを熟知しておかねばならない。わかりやすく、繰り返すことで、知識が定着する。そこで生徒は、わかることの喜び
を体験する。そして、エンディングはもう一度今日の重要事項を繰り返して確認する。そして、次回の予告をして、次回も受けなければ、「せっかく今日覚えたことが無駄になる」と、ある種の不安感を抱かせる。要するに、腹八分で終わることだ。生徒は「わかる」ことの喜びを期待している。

3.教科書をシナリオに。
  教師が予習する段階で、授業は終わったも同然。答えの列記は予習ではない。結構答え合わせだけの教師が多い。シナリオ作りとは、・教科書にその日の授業の流れを明記する。・授業の初めに、その日のテーマをまず知らせる。・次に強調するテーマを示す。そして授業の展開に入っていくわけだが、大事なことは、単なる説明の答え合わせではだめで、答えを導くのに、なぜ、この答えなのかを立体的、論理的に説明し、その教師の個性を生かしたテクニックを駆使してよい。一つの問題に一つの答えを出すだけでは広がりがない。その問題、答えの背景を示すことだ。出題者は何の根拠もない問題は100%出さない。必ず、意図がある。出題者の意図を見抜け。エンディングはもう一度今日の重要事項を再度確認。来週の予告。そして大事なことは、全部教えるのでなく、腹八分で終わることだ。来週につなげることで、来週も受けなければ損をする、ある種の不安感を持たせること。これは難しいが、挑戦してもらいたい。できればプロである。授業の合間に、できたら、教科書の内容に沿ったエピソードを入れれば動機付けになる。

4.授業をショウ(show)仕立てに。
  授業は楽しくなければならない。お客様は生徒である。どれだけ楽しませるか、満足させるか。教えてやるんだという考えは即捨てよ。学んでいただくのだ。徹底したサービスである。これが、学校の教師との究極の差別化である。教科書をシナリオにした上で、パフォーマンスは大いにやるべきだ。気をつけなければならないことは、やたらにやると生徒からブーイングが出る。雑談が多いという批判を受ける。パフォーマンスの効果的演出はすばらしい授業、感動するほどわかりやすい授業の直後にする、しかも短時間に。効果抜群である。亡くなった落語の名人、桂枝雀の緊張と緩和である。
  パフォーマンスの種類は人によっていろいろある。①笑い・ユーモア型パフォーマンス、②語りかけパフォーマンス、③ためになる説教塑パフォーマンス、④じーんとくる涙型パフォーマンス、⑤知識、知性型パフォーマンス 自分の個性に合わせて、無理をしないで自然に出せるとよい。

5.生徒は変わらない、教師が変われ。
  学校であれ、塾であれ、教師は同じ生徒たちを毎日一年間教えることになる。自然と教師と生徒に飽きが始まる。そういう意味で生徒が変わることを期待してはならない。教師が変わる努力と工夫が必要である。私は36年間、一度も授嚢で飽いたことはない。楽しいのである。今日はどんな授業をしようかと思うとわくわくする。今日は徹底して基礎をやろう、難解な問題をわかりやすくやろう、おもしろい話をしよう、苦労した経験談をしよう、ネタはいくらでもある。生徒が悪い悪いという前に、教師自ら努力して己を変えよ。

6.教育以外のことから学べ。
  教師はもともと社会性が乏しい。生徒から先生、先生、父母から先生、先生と呼ばれると何か、自分が偉くなったような気がする。特に、つい最近まで大学生であった若者が、教師になるといきなり先生と呼ばれると勘違いをする。何様だと思っているんだと言いたい。もっと勉強しろ。生徒は社会性を親から学ぶ。教師は誰から学ぶんだ。もっと試用期間をおくべきだ。そういう意味で今の教貞採用制度に問題あり。「新聞も ろくに読まずに 先生業」 「子どもとは 会話が出来る 塾講師」 「黒板の 前に立ってるただの人」 学校の常識は世間の非常識である。教師は特権階級ではない。一般社会でいろいろな分野でそれこそ汗水流して頑張っている人たちを見よ。生徒はその人たちの子どもである。親の悩み、子どもの悩みをもっと直視せよ。多くの人たちから学びなさい。

■そして感性が教師の最後の砦になる
  情熱と努力ができれば感性は身につく。生徒の悩み、苦労、非行から学ぶときに教師側に感性がなければ生徒と同じ目線に立てない。私は生徒を変えようと思わない。自分が変わろう。そして評価は生徒に任せよう。 たまには、人の話を真剣に聞け。そして真似よ。教師に限って人の話を聞かない。社会性がないのである。ある私立高等学校での教師向けの講演を頼まれたとき、最初から居眠りである。その女性教師に「あなたの授業で生徒が居眠りをしても注意する資格はない」。 要するに学ぶ姿勢がないのである。「研修も すべて死
に金 豚真珠」 読書、音楽、映画、スポーツなど、仕事以外のすべてに関心を持て。私は、水泳、マラソン、カート、四国の88ヶ所巡り、熊野古道登山から学んだことは枚挙にいとまがないと言える。
  赤ちゃんを見よ、わが子を見よ、若者を見よ、母を見よ、父を見よ、じいちゃん、ばあちゃんを見よ。必ず感性をくすぐる心がある、話がある。生徒に学べという前に、教師自ら学ぶべきである。私は、大学でも、先輩の教師からも学んだ覚えがない。生徒から学んだのである。だから人気があると自信を持って言える。
  「勉強しろ 先生 あんたが 勉強せえ」

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