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瀧山の「なっとらん受験産業」
…まともな受験教育への提言

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連載コラム 瀧山の「なっとらん受験産業」…まともな受験教育への提言


 どの学生も学力が上がるという神話は生きているのだ。ほっておくとどの生徒も成績が上がらないものと考える。教師は厚かましいくらいに積極的に関与すべきで、自主性に任せては駄目。生徒は基本的に勉強したいのである。知らないことを知りたいのである。低学年の時にすでにギブアップしているのは、社会の責任であろうか。親の責任であろうか。社会の責任であろうか。責任転嫁の風潮は、われわれ教育界に根強くある。教える側の姿勢に大いに責任がある。学校でよい先生に当たるのは、丁半博打に近い。よくお母さんの井戸端会議の中に、新年度の時期に、今度の担任は何先生、よかったね、悪かったね。という話が日常茶飯事である。塾は生徒側に選択権があるのでる。生徒に選択させようよ。どうぞ天秤ばかりに掛けてくださいとね。ここに、民間教育の勝つチャンスがある。
教師の不人気の原因を挙げて、消去法の一つ一つなくしていこう。

■教師不人気の原因ワースト10

(1) 何を言ってるのかわからない。(プレゼン、実力がない)
(2) 授業が面白くない。(工夫がない、モチベーションがない)
(3) 声が小さい。元気がない。陰気 
(4) 怒ってばかりいる。 日によって機嫌がよかったり、悪かったり 
(5) えこひいきする 
(6) 雑談が多い 
(7) 自慢話が多い 
(8) 服装がダサイ 
(9) 人間的に、教師としても尊敬できない。 
(10) 生理的に嫌い(教える全ての要素が欠けている)

 フィンランドでは、教師は尊敬されている。当たり前のことだが日本では昔は尊敬されていたのである。最近情けないかな。この尊敬がない。 M教師(問題教師)という固有名詞すらなっている。塾に対するアンケートのなかで、(1)塾は楽しい (2)塾の先生は何でも相談できる (3)学力がつく これらは、塾(民間教育)が、公教育を一歩リードした瞬間である。
 このワースト10を消すのは容易ではない。不思議と一つ消すと2つ3つと消えていくのである。どこからでもいいから手をつけよう。私も、学校を辞めて、初めて予備校の教壇に立ったとき、最初は自信があった。しかし実際は、生徒は私の授業に関心を示さず、クラスから生徒が減っていった。なぜだろうかと思った。現役時代の私の授業は大変人気があった。予備校でも学校と同じ授業をしていたのだ。これが決定的に間違っていたのである。予備校では、答え合わせ的な教え方では駄目で、答えに導く論理的思考とテクニックが必要で、独自性のある考え方の商品化(これぞ俺の究極の教授法)が要求される。その辺の受験参考書に書いてある通りのことを反復しても生徒はついてこない。いわゆる自分流のバイブルを作らなければならない。それには、過去問を徹底的に調べ、分析することである。その過程の中で、教えることと、教えなくていいこと、入試問題に近い教科書を作ること、何よりも的中することに気がついたのである。プロ教師は、切り捨てることを知っているのである。つまりこれはやらなくていいと言い切れるかだ。そのためには上記の通り過去問を徹底的に分析することが必要不可欠である。それから私のしたことは、先輩の特に生徒に絶大な信頼を得ている先生の授業を何回も見学させてもらったのだ。そこから学んだことは教え方の商品化である。教師は教えるものだと、現役の学校時代は当たり前であったが、教師は自ら学ぶことにあると。徒弟制度と一緒で、すごい奴から盗め。

■動機付け

基本的に、私はすべての生徒の学力が上がると思っている。その一つの要素として教える側の構えである。つまり、動機付けである。動機付けには、内的動機付けと外的動機付けがある。

内的動機付け 

(1) 自立志向・・・勉強が楽しい 
(2) 努力志向・・・自分から進んで勉強の計画をたてる。
(3) 現実志向・・・進学があるから

外的動機付け 
(1) 他力志向・・・友達に影響されて 
(2) 競争志向・・・友達に勝ちたいから 
(3) 報酬志向・・・ご褒美のために 
(4) 教師依存志向・・・あの先生だからやろう

子供たちを取り巻く勉強、学校、家庭の環境は決して良好だとは言えない現状がある。ゆとり教育の下で子どもたちは何をしていいのかわからない。まさしく自主性任せは無責任である。特に小学校、中学校ではいいものは押し付けたほうがよい。特に基礎力強化は理屈なしに詰め込み方式がよい。詰め込みの段階で子どもたちにとって一番問題なのは、挫折を経験したことがないということ。つらい経験をさせよう。
内的動機付けの子どもたちは現状から言って、現実的でない。そのなかで教師依存志向こそが我々の縄張りである。あの先生だからやろう。昔、教師は聖職であった。私は今でもそう思う。
特に、低学年になればなるほど教師の人間性、聖職性、インストラクター性、プレゼンテーションのうまさが要求される。下手な教師にかかると人格まで壊されるし、勉強嫌いになる。生徒は本来勉強が好きなのだ。教師はもっと現実を素直に、偏見ではなく、生徒と同じ目線で見る努力をしなければならない。

■教師依存志向型の教師になるために

第1章 私の履歴にあるように、小学校、中学校、高等学校の教師時代に学べなかったことがある。私が代々木ゼミナールでスター教師になるために学んだことは、(1)学者・・・専門教科に熟知している。 (2)医者・・・生徒の悩みを取り除く。 (3)易者・・・生徒の将来にアドバイスできる。 (4)役者・・・黒板の前で演じる。 (5)芸者・・・生徒を楽しませる。 いわゆる5者である。まさにスター教師になる条件といえる。
第2章では、教師依存志向型の教師・上記5者の要素を持つには「教師は魂の演技者であれ」というのはロシアの教育学者マカレンコの言った言葉である。
どれだけ演技ができるか。教師自身に生徒の胸を打つ感動の話ができるのか。教師の体験、苦労、挫折、涙、劣等感の部分をどれだけ出せるのか。生徒は教師に無意識に人間性を求めていると思う。教師に腑の部分を持てば持つほど、生徒は近づいてくるのだ。次回は、第3章「人気のある教師の人間性とは」の分析と、もっと具体的に細かく提案。

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