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瀧山の「なっとらん受験産業」
…まともな受験教育への提言

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連載コラム 瀧山の「なっとらん受験産業」…まともな受験教育への提言


■塾はサービス教育産業
  フィンランドは学力世界一である。徹底した勉強する環境作りをしている。図書館が多いのは他国に類を見ない。次に徹底した補習である。日本では補習は恥と見なされる傾向があるが、フィンランドでは、子供たちが自由に取れる選択肢の一つとして位置付けている。これには、恥でないと、周りの教師、親、地域社会が支えている。
日本の塾の多くは進学塾である。進学塾では成績のいい生徒をとることに必死になっているがこれには限界がある。 圧倒的に多いのは可能性のある普通の生徒である。この生徒たちを伸ばしてこそ新の進学塾になるのである。また企業的に言っても採算がとてるのではないらろうか。
  勉強する学生に一番欠けているのは、読解力である。読解力はすべての教科の基礎である。塾の環境づくりとして読書室の開設を勧める。読書室を持っている塾も私は見てきたが、まだまだ普及しているとは言えない。民間教育としての一翼を担っている塾だからこそできるのである。公立学校、私立学校が公教育なら、塾は民間教育である。学校が表なら塾は裏。裏に徹することだ。
 最近塾が教育、教育と言い過ぎる傾向がある。塾教育はサービス行である。どれだけ生徒に、親に満足を与えるかだ。「抽象的教育論などいらん」「学校の下請け的な塾などいらん」「学校の中間、期末テストに振り回される塾などいらん」「公立、私立学校と競争する塾などいらん」。私は小学校、中学校、高等学校で23年間、大学で非常勤として3年教鞭をとってきたが、大学を除いて、すべてサービス業だと思っている。
  全国で学校に圧倒的に勝っている塾がある。私がこの目で見て感じたことを伝えたい。
  まず経営者の姿勢である、次に講師である。全国の塾経営者は塾でもやろうかという輩が多すぎる。この業界へは素人が入ってきてはいかんのだ。受験に関しては、私は学校の教師はアマで、塾の講師はプロであると確信している。
  また全国の父母が塾、学校に期待していること(全国の父母会の講演でのヒアリング)は、1.成績を上げて欲しい 2.躾をしてほしい 要約するとこの二つが圧倒的である。
  塾の使命は成績をあげることが第一義であることは言うまでもない。私は断言できる。すべての生徒は成績があがるのだと。(特別の場合を除いて)

■話にならん経営者
1.経営能力がない(プライド一流、感性二流、行動力三流、経営我流)
2.欠陥だらけの会社(名前だけの会社、会社ごっこ)
3.経営者の人間性(偽者、私利私欲、能力のなさ)
4.人材育成力のなさ(ビジョンがないから社員、講師の育成力がない)
5.人間力、教育力がない(事もあろうに、将来可能性のある生徒を預かるのに、哲学観、道徳観がない)
6.儲け一辺倒(もちろん儲けることは大事である。しかし儲け方にもルールがある)

■話にならん講師
1.能力のなさ(能力と肩書きがアンバランス)
2.責任感がない(すべて生徒のせいにする)
3.まったく勉強していない(リーダー学、人間学、ビジネス学を勉強せよ)
4.弱気、内気、陰気(この業界に入ってくるな)
5.授業=商品力の低さ。ただ答えを言って終わりの授業ではなくて、自分流の解りやすい手法、展開、プレゼンテーションの開発
6.営業マインドの低さ(生徒減る、どの面さげて金もらう)

■英語や数学がむずかしくない、勉強が難しい
教える側の徹底した教授法と各教科に対するわかりやすいプレゼンテーション。
  教師は自分の教える教科に対して解答を出すだけでは駄目である。教師が当たり前だということは生徒には通じない。いかにわかりやすく、繰り返してわからせることだ。そしてその教師自身の教授法、自分の教授法の商品化である。商品化ができるかできないかがプロとアマの差別化である。
  瀧山の例:『これで決定的に差がつく4分の3は取れる英作文のテクニック』『200点中100点は取れる究極の語らい』『あと20点取れる秘伝合格ストーリー』『英文が怖くなくなる訳すな英語20か条』『偏差値の高い受験生が陥るケアレスミス』等。教科書のネーミングもただ単に、英文法、英文解釈、英文構文ではなく、生徒にもわかりやすい口語体で、生徒の目線でつけるべきである。教える側のテリトリーに生徒を引き込むことだ。そしていつもなぜ生徒が理解できないのか、教師は問うべきだ。つまりノウハウではなく、ノウホワイだ。

■できる生徒でなく、わかる生徒

 われわれ教師には一部の優秀な生徒がターゲットではなく、圧倒的に多い学力低下の生徒がターゲットだ。できる生徒は数学の問題を解くのに10分しかかからない。できない生徒は30分もかかる。後者の生徒はできたときの感動と自信は前者の数倍である。ウサギと亀である。要するに、時間と教師の忍耐が要求される。そういう意味で、「ゆとりの教育」は学力低下に拍車をかけているのである。公教育は生徒の自主性を叫んでいるが、とんでもない。自主性任せは無責任である。いい意味で生徒を隔離し、包囲網を張ることだ。しかもそれが生徒にわからないように。
  私の長い経験で、偏差値35(高3、4月時点で)から早稲田に合格した生徒がいる。まず基礎を短期間で詰め込む。基礎英語なんてテストに出ないが、この基礎を理解してないと、英語的発想ができない。次に入試英語の基礎をやらせて、本人がわからにところを、本人見つけ出させ、質問させる。本人がわかるまで、妥協しないで本当にわかるまで確認する。次に実際の入試問題の英文長文、英作文、四択問題、整除問題というふうに、本人がわからないところを同じように質問させる。これを繰り返す。
ちょうど川の流れが止まっているときに、ゴミをちょっと取り除いてやると、流れがスムーズになるように。
  ここで大事なのは、基礎英語、入試問題の教材作りである。市販の教材では、一人ひとりに対応できない。生徒がどこで落ち込んでいるのか、生徒の目線で教師がみられるかどうかである。どの教科においても、生徒が一番苦手とするとこを列挙して、最大公約数を取って、それを元に教科書の自主編成を作るべきである。民間教育である塾が公教育に勝つためには、このことができなければ勝てない。

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